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枕崎ミッドタウンウォーク

はじめに

 枕崎!と言えば“台風・かつお節”が枕詞。南に東シナ海を望み、太陽が輝く本土南の最先端の街です。現在、かつお節生産量日本一、かつお水揚量は焼津に次いで日本第二位、その他電照菊、お茶など日本有数の産地です。また2009年、英国美食ギルドコンテストで枕崎産紅茶「姫ふうき」が最高美味☆☆☆金賞を獲得しました。枕崎は位置だけでなく産業も最先端を目指して
きばって(頑張って)いる街です。
 奈良時代から隣の坊津は日本3津(港)、南の玄関口として大いに栄えたところです。
 枕崎では南北朝時代に日野邦光中納言が、織豊時代には元左大臣近衛信輔が流謫されて来ました。江戸時代は金の採掘や、かつお漁業でも大いに栄えました。幕末、西郷さんが流罪の地、奄美大島から戻る途中に枕崎港に上陸し、宿泊しています。更に大正~昭和に掛けて近代カツオ漁の祖、原耕さんが僅か91tの木造動力船で、遥かインドネシアまで3度にわたり、漁場の開拓に努めています。最近では茅野薫氏らが、途絶えていた紅茶生産の復活に尽力し、上述の栄誉を受けています。今も昔も、進取の気概溢れる人々の住む街です。


「市街地」ミッドタウンのマップはこちらからダウンロードできます。「市街地」ミッドタウンウォーク1.pdf

観光スポット

一般に観光というと、名所旧跡を紹介するのですが、花渡川クラブは第一次・第二次産業も観光資源と考えています。バラエティ豊かなスポットを紹介しましょう!

① かつお節加工工場

質量ともに日本一のかつお節加工工場は市内に57工場あり、年間生産量15,400㌧、の1千→カビ人が働いています。中でも最高級品とされる本枯節は、加工→燻し→乾燥付け→完成まで6ヶ月余り要します。良い品を作るには気の遠くなるような工程と日数が掛るのです。

※工場見学できる工場(休日対応可、予めご一報下さい)
①茶屋久徳商店(桜木町) 72-2654
揚村鰹節商店(旭町)  72-0484


② 枕崎港

昭和44年,特定第三種漁港(全国で13港)に指定され、内港・新港・外港の3ヵ所に船の規模に応じて入ります。魚の水揚量は年間11万トンで全国8位。新港には近海で獲れた青物魚が水揚され、セリに掛けられて街中の魚屋さんの店頭にいち早く並べられます。
※外港の冷凍かつおの荷揚げを見学できます。
※青物魚のセリは、地場センター向かいで見学できます(荒天日は中止)
[朝:7:30と昼3:00]水揚量は朝が圧倒的に多い。
 


③ 松之尾公園


南洋カツオ漁場を開拓した原耕さんの胸像があります。原耕は大正13年に91tの木造動力船に自ら乗組み、遠くインドネシア迄漁場開拓しましたが、昭和7年悪性マラリアに罹り現地で死去しました。胸像前には国民新聞の発刊者で小説家徳冨蘆花の実兄徳冨蘇峰氏が揮毫した「原耕の事蹟を讃える銅版」があります。
 


 ④ 西郷隆盛とがんぎ

文久二年(1862年)、第一回目の島流し(奄美大島)から戻る途中、海は時化て鹿児島湾に入れず、薩摩半島南岸で唯一防波堤坊(がんぎ)があった枕崎港に避難入港し、弁指(港役人)の立志清右衛門宅に宿泊して翌日陸路藩庁に戻りました。注釈=がんぎは階段状になった堤防の形状が雁の飛行形態に似ているためにこの名前が付きました(降雪地域の屋根の庇も同じ語源です)。

 


⑤ 立志清右衛門氏宅跡

(現地の表示板をご覧下さい)



⑥ 火之神公園


坊野間県立自然公園の表玄関に当たる火之神公園に広がるその雄大な景観は、薩
摩半島随一を誇り、沖に聳える標高42mの立神岩は枕崎のランドマークです。附近一帯は市民の憩いの場として親しまれ、磯釣り・キャンプで賑わいます。
 


 ⑦平和祈念展望台

昭和20年4月7日、この200㎞沖で戦没した戦艦大和以下の戦死者3721名が祀られており、毎年4月7日に慰霊祭が催され、全国から多くの方々が参拝に来られます。


⑧明治蔵(薩摩酒造花渡川蒸留所)


 本格焼酎づくりの伝統を継承する焼酎文化を伝える資料館として誕生した明治蔵は、焼酎の製造工程を見学することが出来ます。
 ガイドを希望する方には歴史・食文化にまつわる様々な話題が楽しめます。又、さつま芋の品種毎に造った手作り焼酎や明治蔵オリジナル焼酎の試飲コーナーも設けられています。隣接するレストラン「ビアハウス花渡川」で造られた地ビールもお薦めです。


⑨文化資料センター南溟館(月曜 休館)


駅の西側の丘の上にイカリをモチーフにした本館と周囲に波型のベンチを配し船をイメージした木造の美術館。ここで3年毎に開催される「風の芸術展」は現代美術の公募展として高く評価されています。館内には郷土関係作家を中心に常設展示しています。 
また、ここからの「東シナ海」の眺望は最高で、散策の場としても親しまれています。


⑩中村邸の石塀

太古に噴火した溶岩(凝結凝灰岩=通称赤水石)で造られた石塀です。戦前まで
この地区には多くのかつお加工工場がありましたが昭和20年7月末の大空襲で、その殆どが焼けてしまいました。この中村邸は戦後、基礎石・積石・笠石など、元通りに修復された本格的石塀構造です。往時の栄華を偲ばせるものです。(残念ながら、現在石塀は半分とりこわされており、写真は壊される以前のものです。)


⑪蛭子神社

 
江戸末期、ここに大砲9門を据える台場(砲台)を作り、外国船に備えましたので、ここは台場公園と呼ばれています。蛭子神社に祀られる「戎さま」は七福神の1人。海の安全と豊漁の神さまです。明治42年に神社廃合で廃社となりましたが、昭和12年に枕崎漁業会により復活、戦後のルース台風で倒壊しましたが、昭和30年に枕崎漁業協同組合により、ここ台場公園に再建されました。船の安全と豊漁を願って旧暦6月16日に六月灯 が催されます。


編纂:枕崎探検隊
資料:枕崎市史、南薩の特産品、市水産商工課、前迫実氏、島の岩窟王「西郷隆盛伝」東木武市、他。